終戦60周年を迎えて
1995/12/8 幸形ノブユキ

子供の頃「ゼロ戦」は、ただカッコよかった。大人になった頃「特攻」で無くなった搭乗員の方を可哀相だと感じていた。(事実、多くの場合、その出動は余りにも悲惨だったにちがいない。) 1995年1月、僕は神戸で被災した。その時、死というものに直面したと感じた。この体験を機に、人間の生きようとする力、土壇場の生きざま・そして、死にざまというものが、僕なりに理解できた気がする。今、再び特攻というのは何だったのだろうかと考えてみた。そして多数の書物を読むにつれ少し違う感情が僕の中に芽生えた。「愛する人・大切な人のためになら、非常の中で死は覚悟できる」と。そう・・・非常な時代の中で、自分達から一歩前へ出ていった若者が確かにいたという。これもまた事実なのだ。この幸せな時代を生きる僕たちにとって、考えも及ばない精神力。それは、ただ「洗脳」という言葉でくくってしまうのには、あまりにも崇高な自立した意志ではなかったのか? 結論のでないまま(出るわけもないが)、迷いながら創った作品を以下に発表する。亡くなられた全ての方のご冥福をお祈りしながら。




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Nobuyuki Koukata